2024

新年早々に能登半島で大変大きな地震で多くの命が犠牲になり、遠くからひたすら北陸地方の無事を祈る毎日です。

ライフラインが不自由なまま、長引く避難生活と極寒で心身の疲労や病が本当に心配ですが

自分自身に出来る支援をして、災害時の危機管理を今一度見直しています。

 

震災の記憶といえば2011年の東日本大震災。

去年の夏、大津波で被災した地域を三陸鉄道やBRTという海岸線を走るバスで巡りました。

気仙沼、大船渡、陸前高田、釜石。海産物の宝庫である美しい海は無機質なコンクリートの防波堤で覆われ、広大な空き地が目立ち、家も人も店も極端に少なくて活気がなく、避難所だったと思われるプレハブの山と人や産業の無い広大な空き地を平す数台のショベルカーの作業に終わりは感じられませんでした。

震災から12年、同じ日本と思えない厳しい現実。

本当にやりきれない気持ちになりましたが、

そのような土地で変わらず生きる東北の人々の一見寡黙だけれど話し出すと人懐っこい温かさと

当時のことを少しずつ語ろうとしている気持ちに触れ、津波があったと思えない静かで美しい海、そして鉄道に乗りながら眺めた緑の深い森。心身共に癒されましたし、何より人としての謙虚さを教えられた気がします。

 

この時実際に津波に遭われた釜石市の旅館宝来館の女将さんの語る津波体験をお聞きしました。

東日本大震災では、”つなみてんでんこ” といって

”津波がきたら一人一人ばらばらで逃げる、自分自身の命を自分で守る”という古くからの教えが活かされ釜石では小学校に通う子供達全員の命が助かったそうです。

震災からの復興には長期的、継続的な支援が必要です。若者をはじめ、人々の働く産業が貧しく過疎化していく地方での災害は、都市との隔たりをより大きく分厚いものにしてしまいます。私たちひとり一人が震災を自分の身に置き換えて何かしらの関わりを持ち震災を風化させないこと。それが何より再生へ繋がります。

また力を合わせて乗り越えられるように。

これ以上の災害が起こらず平和な一年でありますよう願っております。